今日のふと思う:ある結論を受け入れたくないとなれば、それを否定する根拠を探そうとする。
将来のことで、少々不安になりました。
不安な状態は苦しいと感じます。
今日は、それをなんとかできないかと考えました。
ステップ1:まだ何も起きてないんだと冷静になる
「苦しい」が「楽しい」に変わる本 [ 樺沢紫苑 ]P.69〜70
こんな動物の実験結果があります。
ケージにマウスを入れて軽い電気ショックを与えます。そのとき、電気ショックの3秒前にブザーを鳴らしてから、電気ショックを与え、ブザーの後に電気ショックが発生することを学習させます。
その学習が済んだら、次にブザーだけを何度も鳴らし、電気ショックは与えません。
ブザーの頻度を多くすると、マウスは完全に固まって動かなくなってしまいました。
つまり、ブザーという予期不安を与えただけで、電気ショックはないのに、電気ショックを与えられるのと同等か、それ以上のストレスを受けるのです。
実際に「苦痛」となる出来事が起きなくても、「起きるのではないか」と思っただけで、極度の不安状態とそれによるストレス反応が生じるのです。
実際にはまだ起きていないことに対して苦しむのはアホっぽいなと 少し冷静に考える自分が登場してきました。
これに対し、どう認知を変えて行けば楽になるのだろうか。
そんな事実を教えてくれる文章はないものだろうか。。。
ステップ2:悪い方向に行くという証拠探しばかりしている自分に気づく
しらずしらず [ レナード・ムロディナウ ] P.312〜313
たとえばある実験では、被験者に細長い試験紙を渡し、膵臓のさまざまな重大疾患を引き起こす、TAAという酵素の深刻な欠乏があるかどうかを検査したいと伝えた。
そして、その試験紙に自分の唾液をつけて20秒待ち、緑色に変わるかどうか確かめるよう指示した。
半数の被験者には、緑色に変わったら酵素の欠乏はない、と伝え、残り半数の被験者には、緑色に変わったら危険な欠乏がある、と伝えた。
実際にはそのような酵素は存在せず、渡した試験紙もただの黄色い色画用紙なので、どの被験者も色の変化を目にすることはないはずだった。
…略…
変化がみられないよう動機づけられた被験者は、
(※クタクタ注 緑色に変わったら危険な欠乏がある と告げられた人のことと思う)
色が変わらないと、すぐにその良い結果を受け入れ、検査は終わったと判断した。
しかし、緑色に変わるところを見るよう動機づけられた被験者は、
(※クタクタ注 緑色に変わったら酵素の欠乏はない と告げられた人のことと思う)
紙切れをさらに平均で30秒間見つめた末に、ようやく結果を受け入れた。
さらに、その被験者の半数以上が、何らかの再検査の行動を取った。
…略…
ある被験者は試験紙に12回も唾液をつけながら、…略…「緑に変わってくれない?変わってくれない?お願い。お願い」とつぶやいたという。
…略…
人間は誰しも、自分の望む見方を揺るぎないものにしようと、何度も唾液をつけるのに相当する行動を取るものだ。
…略…
ある結論を受け入れたくないとなれば、何千もの科学研究がすべて一つの結論に落ち着いてもなお、それを否定する根拠を探そうとする。
あ、もしかしたら自分が「悪い方向に行くかも」と不安に思っている根拠をなかなか手放せないからなのかもしれない と少し思えた。
ポジティブ才能の本(成功が約束される選択の法則 [ ショーン・エイカー ] )にもあったけど、「そうならないかもしれない」という根拠は全く探そうとしなく、「こうだから悪い方向に行く」としか考えられない自分がいることに気づいた。
ステップ3:結論としての案
不安に思うなら、そうならない理由も探せ!
これが今日思いついた一つの案です。
いかがなもんでしょうか?