ビッグバンセオリーに学ぶ 人にあーだこーだ言わないことの大切さ
今見ているビッグバン★セオリー<ファースト&セカンド・シーズン> コンプリート・ボックス 【DVD】のファーストシーズン2話めなのですが、
昨日のエントリ
に関連するこんなエピソードがありました。
ビッグバンセオリー2話目より
ひょんなことから隣人の女性(ペニー)の部屋に入った際に部屋が汚いのが気になって仕方ない男性(シェルドン)。
「他人の家なんだからいいから帰るぞ!」と引っ張る眼鏡の男性(レナード)を振り切って、微妙な表現で片付けを促します。
シェルドン「こんな暮らしは辞めるべきだ」
シェルドン「僕はそのためにここにいるよ」
しかし、片付けについて一切喋っていないのでなんのことやらわからないペニー。
レナードは「いいから帰るぞ!」とシェルドンを引っ張って行くのでした。
これは、レナードは「余計なことを言うと相手は不快に感じる」と認識していたはずです。
シェルドンは自分が汚い部屋をみると不愉快だからなんとかしたかっただけです。
(自分の都合目線です。)
シェルドンは綺麗な部屋が正しいと思うし、ペニーはこのままの部屋でも問題ないと思っている。
人は自分が正しいと思うことを相手にやらせたくなる。その気持ちはわかります。
飲み会でも
勝手にやってくれてうれしいことも色々あるにはあるでしょう。
飲み会でサラダをよそってくれたとか、お土産を何も言わなかったのにくれたとか。
それでも、ビールなんかは勝手に注がれてイヤに感じる人もいるかもしれません。
このように、ビッグバンセオリーでも描かれている様に、アメリカでも同じような考えがあるといって良いでしょう。
アドラー心理学では
総じて、この意識をもって他者と接することを忘れない様にするのが大事と思えます。
嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第三夜他者の課題を切り捨てるより(Kindle版のためページ数不明)
ある国に「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということわざがあります。
アドラー心理学におけるカウンセリング、また他者への援助全般もそういうスタンスだと考えてください。
本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
やはり、相手が求めてこない限りは、あまりあーだこーだ言わない方がいいと再認識しました。