今日のふと思う:私たちの人生は有限
新聞のスポーツ欄で、高校野球の記事を読んだ。
「気を緩めないために、うちの学校は点とってもガッツポーズを禁止しているんです。」
的なことが書いてあった。
意図はこれと同じだ。やろうとしていることはよくわかる。イチローも言ってるくらいだし。
図解版イチロー思考 [ 児玉光雄(心理評論家) ] P.76
「空振りだとか三振だとかに一喜一憂はしないということが大事です。そこで、打てない、もうダメだと思ってしまったら、次の打席には立てないですよ。
しかし、プロなら「自分のため」に野球をやっているわけではない(ファンのための勝利)ので、わかるが、高校野球は「教育」や「自分のため」にやるべきなのではなかろうか?
別に大喜びした後で、油断して逆転されたってしょうがないし、それは起こりえる当然の事だと思う。
ゆるく考えよう [ ちきりん ] P.27
人生には、悲しいこともつらいこともあって当然です。だからこそ一方で嬉しくて楽しいことも起こりえるのです。いいにしろ悪いにしろ感情を大きく揺さぶることが何もない人生なんて全くつまらない
例えば自分がヒット打った時に、喜べないなら、自分が打ってもチームが負ければ
「何一つ喜ぶことがない試合だった」
ということに成りかねない。負けた後で自分の活躍のみを凄く喜べる人などそうはいないだろう。
それの何が楽しくて野球をやるのだ?
一嬉一憂したいからスポーツしてるんじゃないの?
Q次の2つから生きたい人生を選びなさい [ タル・ベン・シャハー ] P.138
b.いま喜ぶ
…略…
忙しさにかまけて喜びや満足を後回しにすることで人生を退屈で味気ないものにしている面もあります。私たちの人生は有限ですから、もし喜びや満足をいつまでも後回しにするなら、永久にそれらを教授できないということになります。
人間関係や他のことでも一緒だと思えた。
例えば、仮に結婚してた人と別れたとしても、結婚する時に心から喜んでるなら、後で起こる事なんか、予想できないんだから、十分人生楽しんでるってことで前向きに捉えられるのではないだろうか?
とか、そんなことを、その記事から色々考えてしまった(汗)
本人達が納得してそれやってるなら私がケチ付けるなんて、てんでお門違いなので、この記事をきっかけに、人生について考えてみたというだけです。
私はこういう生き方がしたいなって話です。
「一嬉一憂したいから人生 生きてます!」 と言える人生です!