原因追及でなく、提案こそ至高の伝え方!(アドラー心理学で考察してみる)
ふとした場面で、ある言い方が気になった。
上司:急に○○しない!
嫌な感じだなと感じた。
○には何を入れてもOKなのだが、
私がこの場面を第三者としてみていた時に、
悪気をもって言ってないのはわかるけど、感じが良くない言い方だと感じた。
わかりやすくすると教習所の例ではどうだろう
ちょっとわかりづらい例なので、もう少し具体化してみる。
自動車教習所で、車を運転中に、右に進路変更することになった。
自分が右にウインカーを出した後、右にハンドルを曲げたら、突然教官が一言こういう。
教官:急に進路変更しない!
とあなたに言ったとしよう。
なんとも思わない人は思わないかも知れないけど、私はあんまりいい伝え方じゃないと思う。
(危険な運転で命の危機にさらされたのなら別だけども。)
なぜそうなのかを冷静に考えると、
きっと、
発言が「北風」に感じたからだと思う。
北風だけだと感じが悪い
「感じが悪い人」はなぜ、感じが悪いのか [ 「プレジデント」編集部 ]P25〜27より
鉄則1:相手の立場に立って考える
…略…
相手の立場に立って考えずに、北風だけを吹かせると、プロではなく、単なる感じの悪い人になってしまう。
これは本ブログでも何度か取り上げていることである。
かといって、いちいち日常会話でこんな言い方をするのも面倒かもしれない。
教官:右折しようとしてくれて、ありがとう。だけど、急に進路変更しない!
そこで、こんなのはどうだろうか?
アドラー流たった1分で伝わる言い方 [ 戸田久実 ]P.100
原因追及するのでなく、提案する
…略…
未来に目を向け、「どうありたいのか」「どうあってほしいのか」そのためにはどうしたらいいのか」を考える未来志向で提案しましょう。
…略…
アドラー心理学は、原因追及する「原因論」ではなく、目的に目を向ける「目的論」の考え方が根底にあります。
教官:ゆっくり進路変更してくれないかな?
どうして欲しいかを具体的に言っている。(提案している)
そうすると、それを採用するかどうかは本人の自由というニュアンスが少し出る。
チャンネル争いなら
家族がTVを見ているときに、リモコンで急にチャンネルを変えたとしよう。
「勝手に変えないでよ!」
と言われるのと
「他のテレビで見てよ!」
というのとでは、意味はほぼ一緒なのに、感じが違う気がする。
人は するな! と言われるとイヤな感じがすると思う。
でも、 して! と言われるとするなよりは良い気がする。
ディズニーランドなら
ディズニーランドでアトラクションの列を割り込みしてきた人がいたら
「割り込まないでください!」
というのと
「最後尾からならんでください!」
と指摘するのとでは違う気がする。
これは
嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第三夜他者の課題を切り捨てるより(Kindle版のためページ数不明)
ある国に「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということわざがあります。
アドラー心理学におけるカウンセリング、また他者への援助全般もそういうスタンスだと考えてください。
本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。
するな にはアナタはダメだという感じがするし、
して には、アナタがだめなわけじゃないけど、そうしてほしいというニュアンスがある気がする。
駐車場なら
車を駐車しようとしたときに、知らずに従業員用の所に止めようとしたら
「従業員用なのでここには止めないでください」と言われた。
しかし、もし
「お客様用のはあちらなので、あちらに行って下さい」
と言われると
「あーそうなんだ」って受け容れやすい気がする。
前者は「馬にこっち来んな!」って言ってるようで、
後者は「馬を水辺に連れて行って、あとはご自由にどうぞ」
って感じの違いだろうか。
…とか色々考えたが、私がただただ敏感すぎるだけなのだろうか。。。