自分の人生を好きに生きてはいけない理由などないことを主張します。
以前、こんなことを言う人がいた。
- 主張1:お客さんの満足を得るために仕事をしている
- 主張2:慈善活動でやっていければいいけど、お金を稼がなきゃ生きていけないでしょ?
本当にそうなのか?
私は
- 反論1:自分の満足のために仕事をしたいと思っている
(そのために、お客さんの満足が必要な時はある、ということはある)
嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第三夜 他者の課題を切り捨てる 内 承認欲求は不自由を強いる より(Kindle版のためページ数不明)
哲人:誰からも嫌われないためには、どうすればいいか?答えはひとつしかありません。
常に他者の顔色を窺いながら、あらゆる他者に忠誠を誓うことです。
…略…
他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。
- 反論2:お金は稼がないと生きていけないけど、お金を稼ぐためが「メイン」になって働いていたら、生きていてつまらなくなるから、決してそんな風には思いたくない。
スポーツ心理学者が教える「働く意味」の見つけ方 [ 杉浦健 ] P.171
ホームレス仲間に『商売っちゅうものは、金儲けのためにやるもんなのかい?(中略)自分が楽しむためにするんじゃないのかい?』と言われて、はじめて商売とは金のためにするのじゃない、人生を楽しむためにするんだということに気づいたと言います。
自分の中で、これら(=自分が楽しむということ)が達成されないなと感じた時、アクションを起こしたいと思えます。
別に仕事に限らず、学校でもそうですし、日常生活でもそうです。
日常生活の例:恋愛
例えば、彼女ができたとして、よくよく過ごしてみたら「違うな」と思った。とします。
そしたら、別れます。
ある意味普通のことを言ってます。
違うと思った→別れる。
どういう風に別れるかとかはまた別の話ですが、アクションとしてそうします。
彼女がかわいそうとか、世間体が気になるとか、言っていたら何もアクションできません。
でも、昔は、そういうのばかり気になって、一度始めたことはやり通さないと恥みたいに考えてました。
自分のアタマで考えよう [ ちきりん ] P.131
世の中は複雑です。
でも、だからこそ「その中で、最も大事なことはなんなのか?という点を見極める必要があるのです。
…略…
しかし「あれもこれも」「あっちの利害もこっちの利害も!」と言っていたら、なにも決まらなくなります。なにも動かなくなるのです。
自分勝手かもしれませんが、私は、ある時、嫌なことは無理矢理しないと決めたのです。
(もちろん、理想としての話で、なかなか全部が全部そうはならないのですが)
そうでないと嫌々なことをやって過ごす人生になってしまうからです。
そして、そうしても構わないということに気づきました。
いつだって、その気になれば、自分で選んだ道から外れることができる。
もちろん嫌なこと にも程度はあるかもしれません。
全てに完璧な人生は存在しないからです。
しかし納得して生きていきたいのです。
自分が実はその気になれば自由だという事実があるにも関わらず、その自由を行使しないで人生が終わると言うのはどうなのか?と思うのです。
働く理由 [ 戸田 智弘 ] P.185,186
もし本当にここで働きたくないのであれば、ここで働かなければいいのだ。
もし本当にこんな仕事をしたくないのであれば、こんな仕事をしなければいいのだ。
あなたは自由だ。
理想論かもしれません。
でも理想を目指さないとたどり着きません。
妥協もあるかもしれません。
でもどこを妥協するかというのも、自分で選んでいいと思ってます。
食事をするアバッキオのテーブルの下でガチャガチャと音がするので覗き込むと、警官が床に散らばったビンの破片を集めている。
前夜に側の歩道で強盗があり、被害者はビンが割れるほど殴られたという。警官は粉々になったガラス片を集めて指紋を採ろうとしていたのだ。
アバッキオは思わず訊いた
「犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になったとしたら。あんたはどう思って…そんな苦労を背負い込んでいるんだ?」
警官は手をとめて答えた
「そうだな…わたしは“結果”だけを求めてはいない。
“結果”だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…
近道した時真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。
向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?
向かっているわけだからな…違うかい?」。
※ジョジョ名場面50選より引用
当然現実との絡みはあります。
それでも、毎日あれは嫌だなー、これは嫌だなーと思って続けるのは、次の引用と一緒の状態だと思うのです。
そのことを知っていて良しとするかしないか。
私は良しとしたくありません。
Q次の2つから生きたい人生を選びなさい [ タル・ベン・シャハー ]P.9、10
サムと言う男は毎日ランチの包み紙をあけては毒づいていました。
「またピーナツバターとジャムのサンドイッチかよ。
俺はピーナツバターとジャムが大嫌いなんだよ!」
サムは毎日毎日、ピーナツバターとジャムのサンドイッチに文句を言ってました。
何週間かが経ったころ、とうとう耐えきれなくなったひとりの同僚が言いました。
「いい加減にしてくれよ。そんなに嫌いなら、奥さんに別のサンドイッチをつくってもらえばいいだろう」
「奥さん?」
サムは答えました。
「俺は独身だよ。このサンドイッチを作ってるのは俺さ」
私たちも知らず知らずのうちに、嫌いな材料でサンドイッチをつくるようなことをしてはいないでしょうか。
結局は、自分の好きに生きたい!と言うシンプルな話だと思います。
でも好き勝手生きるのは迷惑をかけるのでは?
と一瞬思いますが、この言葉はある種の真理を言い当てていると私は信じます。
嫌われる勇気 [ 岸見一郎 ] 第三夜 他者の課題を切り捨てる 内 承認欲求は不自由を強いる より(Kindle版のためページ数不明)
青年:じゃあ、自己中心的に好き勝手に生きろと?
哲人:課題を分離することは、自己中心的になることではありません。むしろ他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。
親が子どもに勉強を強要し、進路や結婚相手にまで口を出す。これなどは自己中心的な発想以外の何物でもありません。
青年:じゃあ子どもは親の意向等お構いなしに、好き勝手に生きていいのですね?
哲人:自分が自分の人生を好きに生きてはいけない理由など、どこにもありません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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