それを言って何の得になるの?相手の立場・気持ちを考える大切さ
昨年のことですが、クレームを言われました。
(1)一つは時間に10分遅れたこと。
(2)もう一つは頼んだ物が要求通りにこなかったこと。
(1)に関しては純粋に謝りつつも、たった10分で何を言っているのか?と感じてしまいました。
元々、私はお届けするときに、時間に遅れていれば冒頭に「遅くなりましてすみません」と必ず言う様にしているのですが、(元々、道路状況とかで、遅れたり早まったりしやすいお仕事なので。)
今回に関しては、それすら言う前に怒鳴り散らされてしまいました。逆に、言うタイミングを逃してしまったというのが正直な所です。
(2)に関しては関係各所に確認したところ、そんなことは要求されてなかったとの見解でした。
しかし、クレームを言いつつも「しょうがないんで我慢するのでそれでいいです」
と言ってきました。
私は、「しょうがないんなら無理して購入してもらわなくてよい」
と思うので
「購入のキャンセルができます」 と伝えました。
私も、「我慢して」購入されることなどは望んでいないし、
そんな状態では購入したものに満足すること等まずないだろうな と
思ったからです。
第一「仕方ないんで」とか「イヤだけど」とか「我慢して」とか言われては、
売る側も気持ちが良くありません。
お金を払うから自分が何でも正しいと思うのは私は違うと思います。
クレーマー時代のへこまない技術 [ 林恭弘 ] P138、139
人は「食うためだけ」に働くのではありません。
労働の対価としてお金を得るのであって、労働の内容以外に関してはお客さんとお店の人であろうと、「対等」であるのが普通だと思います。
クレーマー時代のへこまない技術 [ 林恭弘 ] P.160
人間は自尊心をもたずして、何かをハツラツと行うことなどできません。
自尊心とは「自分は必要とされている、大切な存在である」という思いのことです。
この自尊心が持ててこそ、幸いむずかしいしごとでも何とか前向きに取り組もうと思う訳です。
「我慢して買うわ」なんて言われた日には、自分は必要とされてないと言われてるのと
同じです。
クレームのお詫びどころか、こんな面倒くさい客にはむしろぼったくってやろう と
思われても「自然」なんじゃないでしょうか。
相手に文句を言う時はやはり最初に相手にもそうなる事情があったのかもしれない
と頭に入れた上で、
そうしない方が相手のためになるよ
という物でないと、言われた側に響かないばかりか、単に器が小さい人と捉えられても仕方がありません。
さらには、表現するには「I(アイ)メッセージ」を使うのは必須でしょう。
クレーマー時代のへこまない技術 [ 林恭弘 ] P.131、132
待ち合わせ時間に遅れてきた恋人に、
「時間も守れないの?よくそれで仕事しているわね!」
このような「Youメッセージ」をしてしまう気持ちはよくわかりますが、相手も攻撃されると黙ってられなくなるものです。
「こっちだって遊んでいるんじゃないんだ。何もわかっていないくせに偉そうに言うなよ!」
このようにやはり応戦したくなるものです。
しかし、
「約束を忘れちゃったのかな?それとも途中で何かあったのかな?と思うと心配になったよ」このようにすなおに自分の気持ちを伝えれば、相手だって「ごめんね」と素直に謝れるはずです。
言う側は、文句を言ってはたして何の得があるのか と考えると理屈の上で少し落ち着いて来るかと思います。
Happier [ タル・ベン・シャハー ] P.237、238
何かを行うことに決めるとき、私たちは、これは自分を本当に幸せにするのだろうかと自問すべきです。
…略…
私たちの誰もが、少なくとも心の奥では、「ほかの人たちを不幸せにすることは、自分を不幸せにすることでもある」ということを良く知っているからです。
友人等にイラついた時でも、こんなことに文句言ってなにかあいつが変わるのか?
と「損得」を計算すると、冷静になれていいんじゃないかと思います。
以前 居酒屋で「来るのが遅い!」とか、「焼酎ロックだって言ったじゃん!」とか小さいことでやたらめったら威張り散らしている人をみて思ったのですが、
その場ではクレーマーが勝ったにせよ、以下のような見解もあることを忘れてはいけません。
ストレスはたしかに溜まるかもしれませんが、逆に「損・得」を考えることによって、ストレスを軽減することもできるかと思います。
あなたが言おうとしていることは、果たして言って何の得になるのか?
大事だと思います。
ポジティブ心理学でも以下の様に言ってます。
Happier [ タル・ベン・シャハー ] P.235
私たちは、ほかの人たちを助ければ助けるほど、幸せになります。
そして、自分が幸せになればなるほど、ほかの人たちをもっと、もっと助けたくなるのです。
Happier [ タル・ベン・シャハー ] P.236、237
他の人たちを助けることは、自分の幸せよりも、ほかの人たちの幸せを優先することではありません。ここが重要なところです。
自分の幸せを追求していないとき、私たちは真の自分を押さえつけています。そしてそれは、ほかの人たちを助けようとする意欲を私たちにけっしてもたらさないはずです。不幸せな人間はけっして心からは他人を思いやれません。
そして、他人を思いやれないという自覚が、その人間をますます不幸せにすることになります。
他人を思いやる=相手の立場にも立ってみることが、幸せになる一助になるのではないでしょうか?
Happier [ タル・ベン・シャハー ] P.238
私たちが意識していようといまいと、私たちには、慈悲の心と正義感が生まれながらに備わっています。そのために、人々を傷つけると、私たちはその代償を、究極の通過で、いやでも支払わなくてはなりません。
私たちはそのようにできているのです。