今日のふと思う:知ったふりをするのは、自分自身への侮辱
人体について勉強していると不思議なことが色々起こる。
ツボ
例えばツボ。
押すと体が良くなると言う。
私は「ほんとかよ?」と常に思う。
しかし、実際良くなる人もいるようだ。
だからWHOですら認めている。
別に、ツボはあったっていいと思ってる。
ただ、私に認識可能な形でまだ提示されてないので知識としては私の頭にあっても、「ほんとかよ?」の知識の域を超えない。
それは私の本当の知識とは言えない。「知ってるだけ」だ。
筋力検査
他にも筋力検査。
体の不調があるところを軽く触ってから、どこの筋肉でもいいので筋力検査すると、軽く触れる前と比べて筋力が(一時的に)下がるという。
これも、実際やってみて感じることが、
「ほんとかよ?自分の検査の仕方のさじ加減次第じゃないの?」
と思ってしまい、知識の域を超えない。
これらの例以外にも、きりがない位こういうことはある。
自分には感じ取れないけど、他の人には感じ取れること
人体について勉強していると、自分には感じ取れないけど、他の人には感じ取れることがある。なぜ自分には感じ取れないのかは
- 私のやり方の問題?(技術的経験不足?)
- 他の人の思い込み?(で実はそんな現象は起こってない?)
- そうなるときもあるし、ならないときもあるという偶然が起きてる?
などなど、正直、その特定はできない。
しかし、私は自分がやってみた上での感想を大事にしたい。
したいのだけど、セミナーとかに参加した時に先生が「こうなる」と言ったことに対して、他の人が「そうなった」と言っていることを否定するのは難しい。
気を送る先生の話
知り合いがある学校に行っていて、気を送るので有名な先生が授業をした時のエピソードを教えてくれた。
「今から気を送るから、どう感じたか言ってね?」
というデモンストレーションがあったそうな。
で、そのモデルとなった人ははっきり物をいう人だったらしく、先生が気を送った後に「どう?」
と聞いたら
「全くなんもわかりません」
と言ったらしい。
大勢の生徒の手前(そしてその先生が有名な人だったらしく)、発言しづらいことをそのモデルの生徒はあっさり言ったので、後で少々揉めたらしい。
でも私は、そのモデルの生徒のような心持ちでありたいと思う。
しかし、自分の感覚がおかしいのか… 単に修行不足なのか… と
なんか負けてしまう。
(やっとここで本題。)
そんな自分やそういう人に対して送りたい、認知を変化させるであろう言葉達です。
なぜ、間違えたのか? [ ロルフ・ドベリ ] P.139
ひとりひとりが普通の状況で判断していたらそうはならなかった愚かしい決定が、集団で話し合ったために下されてしまう。まさに「集団思考のワナ」である。
集団って自分の思考を停止させる可能性があるよね 。
本当に自分が考えて・感じてのことであれば間違いではないこともあるのではないか。
凹まない人の感情整理術 [ 植西聡 ] P.223
わからないことがあったら「わかりません」と正直にいうようにしましょう。知ったかぶりをする人よりも、その方がずっと好感を持たれますし、何より自分の心に嘘をつかなくてすむので、心が疲れません。
心が疲れないって大事だよね
堀江貴文の言葉 [ 堀江貴文 ] Horiemon's Words of Wisdom 014(ページ数不明)
納得いかなきゃ闘い抜け
納得のいかないことに対しては徹底的に、最後まで闘い抜くという私の姿勢を崩したくはない。ここで自分のスタンスを変えるのは生き方として良くないと感じている。
成功した人に言ってもらえると心強いよね
媚びない人生 [ ジョン・キム ] P.69
知ったふりはしない
…略…
知ったふりをするのは、「他者への欺瞞」であると同時に「自分自身への侮辱」でもある
自分自身への侮辱!と捉える手もある。自分を侮辱はしたくない。
Q次の2つから生きたい人生を選びなさい [ タル・ベン・シャハー ] P.48
b.確固たる自分でいる
人に合わせることで起こるいいことは、あなた以外のみんなが、あなたを好きになることだ。作家 リタ・メイ・ブラウン
うん、やっぱわかんないことはわかんないって感じは(他者に発言するかどうかは別として)素直にそのままにしておこう。