今日のふと思う:自分が「損する」というのは、誰かが「得をする」ということ
ちょっと失礼なことをされた。
正直、一言謝って欲しいと思った。
しかし、冷静にとらえると「絶交だ!」とか言う程、めちゃくちゃ酷いことをされた訳でもない。
でも、このままそれを素通りすることも自分の心的には難しい。
そういう時にどうしようと思ったのですが、色々読み返してみて、この考え方が良いと感じました。
(大前提として本書の序盤では、「許せない」とは自分が損する状況だから許せないと思うのだという解説があります。その上で、)
仕事・人間関係どうしても許せない人がいるときに読む本 [ 心屋仁之助 ] P.52
「損してもいい!」と覚悟を決めることです。
P.60
自分が「損する」というのは、誰かが「得をする」ということですからね。誰かに豊かさをプレゼントしているのです。
…略…
「いいこと」を贈りつづけているから、気がつくと、「いいこと」がざっぱーんと返ってくるようになる。
…略…
だから、たくさん損したほうがいいのです。
たしかにたしかに。
非常に納得できる説明だと思いません?
鋼の錬金術士じゃないですが、世の中等価交換だとすると、相手が嬉しい状態になるってことは、変わりに誰かが損しているんですよ。
(まあ、そうじゃないことももちろんありますが。)
日々の経済もお金を払うから商品が来る。
相手にとって幸せになる価値ある物とお金を交換している。
とすると、こちらが損して、相手が幸せになってるならば、なんらかの形で自分にとって価値あることとして返ってきてもなんら不思議ではない。
だから、「なんじゃこいつ!失礼な」と思ったとしても
「今は損しても良い。謝罪の言葉も要らないよ。
なぜなら、これは相手にとって のハッピーを私が与えてあげたのだから。
そしてその見返りはいつか自分に返って来る。
だから全然許せる。」
と結構思いやすくなった気がします。